本を書く

もう1年前なので、2022年の5月から雑草についての本を書こうと思って資料集めをしていました。
さらに数年前から構想はあったのですが、どうまとめようか迷っているうちに時間だけが経過していました。
(‥久々のサイト更新なので、ワードプレスの操作も不慣れになっており、文章の体裁がこれまでと異なっています。)

資料集めから

一般の人より雑草に触れていた期間が長いとはいえ、本も書くためには根拠となる資料が必要なので、まずは資料を集めることから始めました。最初は、過去に購入して手元にあった本や論文の整理から始め、次に参考文献として引用されている資料も目を通し始めました。

本→参考文献→参考文献に記載されていた本→参考文献‥という感じで、本から本を訪ね歩きました。もちろん、それだけでは考え方が偏ってしまうので、思いつく言葉で検索をかけて、面白そうな資料の発掘も行いました。

その際に一番役立ったのは国会図書館デジタルというサイトで、恐らく一生手に取らないような本や雑誌がたくさん見つかりました。しかも、当初より公開範囲が増えたおかげで、資料の量は各段に増えました。

また、手元に置いておきたい資料の中には絶版となっているものも多く、古書として入手しました。アマゾンや日本の古本屋というサイト、メルカリやヤフオクなどあらゆる手段を使った結果、探していた本の大半を入手することができました。今更かもしれませんが、パソコンがあれば、全国各地から本を入手できるという非常に便利な世の中になっていました。

一時期は、毎日のように本が数冊ずつ届き、支払額はノートパソコンを2台購入できるくらいになりました。1冊を購入しても、場合によっては数行、多くても数ページの引用なのであまり効率はよくないかもしれませんが、1冊増えるごとに蓄積するものも多く、購入して正解でした。

何より、ここまで本気になって勉強したこともなかったので、雑草に深く触れる非常によい機会となりました。

調べたこと

資料集めについては、この辺にしておき、どんなことを調べていたかというと、雑草と日本人との関わりについてたどっていました。内容としては、文系的な要素8、理系的な内容が2くらいになりました。

もちろん、たどると言っても、1000年前などは資料が限られていて分からないので、江戸時代の中頃から現代までとしました。おおよそ300年ほどになります。

歴史的な事件や人物の一生と異なり、雑草は生えては枯れる(刈られる)ことの繰り返しなので、記録も少なく当初はだいぶ苦労しました。それでも、様々な資料に出てくる断片をつなぎ合わせながら、一本の線(細い部分もありますが)としたつもりです。

雑草という存在

その結果、雑草というのは農地内では邪魔な存在として取り除かれていたものの、農地の外では貴重な資源として活用されていることが分かりました。その1つが肥料源で、土手や山林で集められた雑草や木の若芽は水田にすき込まれており、刈敷と呼ばれていました。

水田の面積を1とすると、肥料を採取するための土地は5倍前後を要しており、それが必要量というよりは、その地域で集められるだけ集めていました。山林が多い土地では多く集められたものの、平野しかない地域では多く集めようがなく、地域によって投入量に大きな差がありました。

つまり、雑草を多く集められる土地はより広い農地を維持することが可能となるが、その逆に雑草を集められない土地は農地の維持が困難となっていました。農作物の成長を阻害する雑草が、一方では農作物を育てるために不可欠な存在となっていました。

このため、山に入る日は地域ごとに決まりがあり、取り決めを守らない人には罰金などが科せられていました。現代であれば、雑草は刈り放題(むしろお金を支払って刈ってもらう)ですが、江戸時代では雑草がお金と同様の価値を持っていました。

その他にも、資材や食糧、飼料としての役割もあり、雑草は日本人の生活にとって不可欠な存在でした。考えようによっては、雑草を使わざるを得なかったとも言えるのですが、江戸時代の文献に、「草木が取り尽くされて山も荒れて農地を維持できない」ということが書かれていました。

その土地にあるものを最大限に使った結果で、現代で言うところの乱開発に近い状況でした。来日した外国人も、「日本の農地は常に何かが植えられていて丁寧に草取りがされている」と驚いているのですが、狭い土地を有効に使うためには、徹底した手入れが必要だったとも言えそうです。

このため、当時は、現代の我々が見ている木々が生い茂った山は少なく、草地がかなり多かったようです。

‥と書くうちに、話はどんどん長くなるのですが、1つ言えることは、雑草と日本人の関わり方はかなり深く、時代とともに大きく変化しているということです。現代だと雑草は、どちらかというと邪魔な存在‥実際、除草剤の出荷額だけで1200億円を超えます‥となりがちです。しかし、そういう意識が顕著になったのは様々な資料を読み込んでみると、戦後、昭和30年以降になります。

それを古いと考えるか、まだ最近のことと捉えるかは様々な意見があると思いますが、ただの草が人間の社会や経済などの事情によって雑草とされ、その評価も人間の都合によって変化してきた(雑草は社会の写し鏡)ことは明確です。

最近は、専門分野というか特定領域の細かい話や、うんちく本が多いのですが、あえて時間軸を長く取り、文系と理系の要素を混在させながら一本の線にしながら、雑草に対する評価の変遷を追いかけたつもりです。そして、経済や政治から語られることが多い歴史や社会の変化を、雑草に対する意識から見つめてみました。

出版の行方

‥と、これらのことを書いた素原稿として、約13万字+図表が既に完成しているのですが、先に書いたように理系+文系の要素が混在(雑草の記録は様々な分野に横断しているもので)しているということもあり、当初予定していた出版社の方でも、どういう方向性がいいのか思案中という状況になっています。

これまでにまとめたことが減る訳ではないので、どうにかなるだろうとは思っているのですが、出版までにはもう少し時間がかかりそうです。

 

本を書く” に対して2件のコメントがあります。

  1. エノコロちゃん より:

    出版応援しています

    私は雑草に全く興味がなく過ごしてきましたが、朝ドラの「らんまん」の主人公が雑草に関しても語る場面があり、ちょっとそこら辺の雑草を写真に収めました。

    Googleでは写真だけで、何かを検索できる機能があり、調べたら雑草にも名前があると知り、感動しました

    雑草にここまで精通してる貴方は変わった人だと思います。応援しています。

    1. zasso-project より:

      はじめまして。
      コメント、ありがとうございました!

      今、色々な資料を基にまとめています。
      できるだけ早く、出版できたらと思っています。

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