雑草のはなし12「雑草がお金になった時代」
カラムシという雑草
あまり人の生活の邪魔にはならない感じですが、山の方に行くとごっそり生えていたります。事務所のある宮城県山元町でも、山手にまとまって生えていました。今でこそ、ただの草扱いですが、昔はお金の源のような存在だったようです。
実体験していることならば、具体的に書けるのですが、今回は残念ながら資料からの知識です。それだけ、昔のことになってしまいました‥。
カラムシと戦国時代
今から遡ること400年ちょっと前。戦国時代のことでした。その頃、越後の龍として有名な上杉謙信の財政を支えていたのがこのカラムシでした。昔は、青苧(あおそ)とか苧麻(ちょま)などと呼ばれていたようです。
今の時代、どれだけの人が「青苧」や「苧麻」と入力するのか不明ですが、一発で漢字変換できました。
さて、このイラクサの茎から取り出した繊維は布や紙、漁に使う網にも使われたそうです。そして、カラムシの大産地が謙信のおひざ元である越後でした。カラムシから取り出された繊維は当時の都・京都まで海路で運ばれており、繊維の売り上げだけでなく、買い付けに来た船にも税金をかけていたようです。
資料によれば、カラムシだけで年間40万石の収益になったようです。40万石がどの程度かというと‥その換算は様々な資料を読んで考えないといけないのですが、ざっと数百億くらいはあったんじゃないでしょうか。
カラムシが着物になるまで
昔は着物一着をつくるためにカラムシの採取から始まり、蒸して皮を剥き、さらして、糸に紡ぎ、縒りをかけて織ると1ヶ月の工程だったそうです。たぶん、慣れている人でこれくらいの時間なんだと思います。
今だとお店に行って好きな服を買うだけですが、カラムシから作ろうと思えば少なくとも1ヶ月‥現代がいかに恵まれた時代であるかが分かります。
そのカラムシ織ですが、福島県の昭和村に残されているので、いつか現場に行って見てきたいと思います。時代とはいえ、経済性と合致しない分野は実用品から工芸品になってしまうようです。
カラムシのその後
そんなカラムシにも転換期が訪れます。1600年代後半には、繊維の主流がカラムシから綿へと変わります。産地は西の方、奈良の盆地だったり大阪の平野でした。
これと同時に、イワシを干した魚肥(ほしか)の流通が活発になり、イワシが不漁になると北海道のニシンが肥料として使われ、綿を軸にした経済が動き始めたのでした。綿に関わる諸々と、経済の動きを追う作業もとても興味深いです。
また、現代の衣類の大半は化学繊維ですが、昔は土地の養分と太陽の光で育った植物から服ができていた訳で、大河ドラマや時代劇で気になる部分が増えそうです。ただ、実体験が全く無いので、あくまでも想像で補うことしかできないのが残念です。
(参考資料)
戦国の経済史(八幡和郎監修、宝島社)
宮本常一講演選集1・民衆の生活文化(農文協)