雑草のはなし16「野生のアズキふたたび」

再びのヤブツルアズキ

2019年秋の話です。ヤブツルアズキの種子(マメ)を採取してからずっと気になっていて、雨と雨との一瞬を見計らって再び収穫に行ってきました。

狙うは道端でしたが、大きな道の陰になっていて見えにくいので、行き交う車に怪しまれない場所でした。そうは言っても、たまに裏道を通る人も居るので、何をしているのかと聞かれたら、どう伝えようかと内心ドキドキしていました。

雑草を刈っている訳でもなく、種子を集めるという謎の行動なので、現実をそのまま伝えても理解できないと思います。実際にそうするかは別として、一般に通じやすいのは「食べる」という説明がいいかもしれません。

人は自分の想像できる範囲、過去に経験したことでないと理解するまでに多くの時間がかかる気がしています。

収穫後

ともかく、誰にも見られずに(別に悪いことをしている訳ではないのですが)ヤブツルアズキを収穫してきました。この時期は草刈りも盛んになるので、草刈りとの勝負となります。

ちなみに、種子が熟してから草刈りをしてもあまり意味はなくて、種子が付く前、もしくは春先のまだ雑草が小さい頃に対処する方が効率的なのですが、あまりそういうことを意識する人は少ないようです。

収穫したヤブツルアズキですが、早速、さやから取り出す作業をしました。

地味な内職みたいなものです。昔の人も、この雑草を収穫してきて、実際に食べたのかもしれないと思いながら手を動かしていました。

想像する

以下は文献や調査に頼らない想像の話になります。収穫した種子をよく見ていると、大粒~小粒までよりどりみどりでした。ただ、河原よりも道端で採取した種子の方が一回り大きい感じでした。

これはなぜかと考えると、育っている環境がいい(日当たりがいい、土壌に肥料がある、水が豊富)ということの他に、種子の大きくなりやすい個体の可能性もあります。種子を食べる場合、大きい方が都合がいいので、大きくなりやすい個体を探した方がいいということになります。

でも、人間はもっと楽をしたいので、自分で育ててみようと考えるはずで、それが農業の始め、ひとつのきっかけなんじゃないかと思います。

そんな昔の人々の思い付きや動機はいつ頃からか消えてしまい、後はどう育てるかという情報・技術が優先していきます。それはそれで大事なことなのですが、たまに、作物の先祖である雑草に触れ、農業ができるまでの動機、歴史、人の思考を探ってみるのも面白いかもしれません。

あまりに単純なさや剥き作業をしながら、そんなことを妄想していました。

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